― 自己紹介―

いつも金武町を想い、応援してくださりありがとうございます。
私は、金武小学校、金武中学校(44期生)、宜野座高校(50期生)を経て、沖縄国際大学商経学部商学科を卒業しました。
23歳で、稼業であった地元金武町のアメリカンBAR経営を継ぎ、その後、飲食業・観光関連事業など15の事業を立ち上げてきました。
その歩みの中で経験した幾度もの事業転換は、私に「社会を自分の視点で生きる力」と「人と支え合うことの本質」を深く教えてくれました。
一つひとつの挑戦を通して、人は何を求め、何を大切にして生きているのかを見つめ続けてきました。事業を営む中で実感したのは、社会は一人で成り立つものではなく、互いに支え合うことで豊かさが循環しているということ。
だからこそ今、人と人がつながり、支え合う環境づくりを進めています。
最も大切にしている原点は、「自分を感じること」。
自分の心を感じられる人は、他者の心にも自然と耳を傾けられます。この感性こそが、人と社会をつなぐ土台になると確信しています。
そして私は、自らの経験をもとに、これから社会へ羽ばたく子どもたちに「心が喜ぶ教育」を届けたいと願っています。人の気持ちを感じ取る力は、人生を重ねていくたびに深まっていくもの。
幼少期から自分の感情に気づき、相手の立場を想像し、言葉で伝え合与えたら、大人になって伸び伸びと社会に関わっていくでしょう。
教育現場において、今あらためて必要とされているのは「情操」です。
知識や技能は社会で生きる力となります。けれど、それらをどう使うかを決めるのは心の在り方です。美しさを感じる感性、共に喜び合う心。こうした交流から情操が育まれて、人は他者と調和し、社会の中で真に自分を表していけるようになります。情操は自己を形作る基礎となります。
だからこそ幼少期から情操を育てる教育が不可欠なのです。具体的には、
・挑戦する心、やり抜く力を育てる「非認知能力」の育成
・子ども同士が対話し、考えを深め合う「対話型保育」
・園と家庭が共に子どもの育ちを支える「家庭連携」
この三つを軸に、「金武こどもみらい園」を運営しています。
社会福祉士資格を活かして、保育士やスタッフと共に、子ども一人ひとりが自分の気持ちを大切にし、他者を思いやる環境づくりに取り組んでいます。


そして、この教育を園の外へも広げていきたい。町立園との連携研修による保育の質向上、家庭向け対話講座の開催、非認知能力を育む実践の共有など。子どもは、家庭で、地域で、町全体で育つ存在です。
感じ取る力を育んでいく教育を、金武町全体へ。
大人も子どもも、お互いの声に耳を傾け合える町へ。
みんなと支え合いながら進む町へ。
金武町で生まれ、学び、何度も、何度も挑戦を重ね、支え合いの価値に気づいてきた一人として、思う存分、挑戦できる金武町を、皆さまと共に拓いていきます。
「いいね、金武町。」
山川むねひと
趣味
- 読書 月に3~8冊程度読んでいる。
- ゲームをすること、特に三国志や信長の野望、ドラゴンクエストが好き
- ペットと遊ぶこと、保育園の愛犬トトと遊ぶ
- YOUTUBEで勉強 。動画コンテンツよく見ます。
特技
- いつも金武町が良くなることを考えられる
- 金武町の子どもたちの成長を楽しめる
- 何にでもチャレンジすること
尊敬する人
當山久三、坂本龍馬、アドラー、妻
座右の銘
「できるか、できないかではない。やるか、やらないかだ。」
「いざ行かむ 吾等の家は五大州 誠一つの 金武世界石」
愛読書
ワンピース、キングダム、蒼天航路、7つの習慣、嫌われる勇気

山川ヒストリー ~出生から青年期まで~
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出生時
私は1977年(昭和52年)4月1日、ドイツ・ミュンヘンで生まれました。
父・宗男と母・静香が結婚し、ドイツで暮らしていた時に授かったのです。
父は当時ドイツへ留学していました。
私が生まれたことをきっかけに一家は沖縄へ帰省し、私は1歳になる前にドイツを離れました。
そのため、ドイツでの記憶はまったくありません。
幼稚園時
金武幼稚園に通っていた頃は、悪さばかりしていました。
実家が新開地にあったため、ゲームセンターに通うのも早かったと思います。
親に迷惑をかけながらも、よくゲームセンターに行き、何度も見つかっては怒られました。
ある時、父に「そんなにゲームがしたいなら、このお金でやってこい」と5千円ほど渡されました。
脅しのつもりだったようですが、私はそれをすべて使い切って帰ってきた。
そんなエピソードを後から父に聞かされました。


小学校
小学1年生の時、一番大好きだった祖父・山川宗英が亡くなりました。
とても優しく、いつも膝の上に乗せてもらっていたことを覚えています。
当時の私は相変わらずの悪ガキで、ブルービーチで友達と遊び、コーラやハンバーガー、ホットドッグを楽しんでいました。
両親は仕事で忙しく、私は寂しさを感じていたのかもしれません。
勉強はまったくできませんでした。
転機は金武小学校5年生の時です。
掛け算九九も覚えていないほど勉強をしなかった私に、家庭教師として安富祖寿子先生をつけてくれました。
寿子先生のおかげで初めて漢字テストで100点を取り、「やったー!がんばった!」と大きな達成感を味わいました。
その頃から親に叱られることも減り、少年野球「飛龍」や小学校サッカーを始め、勉強も少しずつ成果が出るようになりました。
中学・高校時代
金武中学校ではサッカー部とテニス部に所属しました。
校長先生として戻ってきたロッキー先生や孝実先生に再会した時は、一瞬で当時にタイムスリップしたような心地よさを感じました。
この頃の友人たちは今もモアイ仲間であり、いつ会っても昔に戻れる大切な同級生です。私の「金武町好き」の礎となった存在であり、本当に感謝しています。クセは強いけれど、大好きな仲間たちです。
宜野座高校ではバレーボール部に所属し、3年間やり通しました。
成績はまずまずでしたが、勉強はできる方だったと思います。
小学校時代から考えると大きな成長でした。


大学時代
沖縄国際大学に進学し、商経学部商学科でビジネスを学びました。
最大の収穫は、妻と出会えたことです。
週末は金武町に帰り、実家のBarを手伝いました。
本で学んだビジネスを実践し、売上が上がる楽しさを体感しました。
母が私の意見ややりたいことを尊重してくれたことに感謝しています。
この経験を経て、大学卒業とほぼ同時に結婚し、家業を引き継いで経営者となりました。
金武町商工会青年部
商工会青年部は、地域振興とビジネスの質向上を目的とした、45歳までの若者による組織です。私は23歳から所属し、21年間にわたり地域活動を人生の一部として取り組んできました。
その活動を通じて地域愛を確立し、政治を志すきっかけにもなりました。
利害関係のない人々が「金武町のために」と集まり、20歳から45歳までの幅広い世代で組織を運営しています。
代表を務める難しさや、時間を割いて地域のために動いてくれる人への感謝を学びました。
先輩から後輩へ、あるいは地域の皆様から、地域で働く大切さや関わる楽しさを教えていただきました。
私は金武町商工会青年部部長、そして沖縄県商工会青年部会長を務める中で、皆様から多く学ばせて頂いたことに心から感謝しています。

